井上さん
先日、東京で子ども文庫の会のセミナーに参加しました。
セミナーは 全5回です。そのうちの2回に加わりました。1回は、参加者が各々 絵本を持ち寄り、紹介し、感想を伝え合い さらに似た他の本と読み比べていくというような内容で、もう1回は『日本昔話百選』の中からいくつかの昔話を読んでいくというものでした。 福岡の子どもの本やさんで不定期にやっていただいたおはなし会と同様、1冊1冊をひもといていき、本のというか、文章のあり方が読む側にもたらす影響力を実感し、本、本来の楽しさを知ることができる時間でした。なかでも、印象深かったものは 『ピーターラビットのおはなし』です。
今回このピーターラビットのシリーズは、訳者、出版社が変わって新しく出されていますが、その新しいものと、それ以前の訳者のものとを それぞれ読んでいったのですが、全くといっていい程、違うものになっていました。以前のものにある、物語中の、時々 感じることのできるユーモアから湧き上がる余韻が、新しい方には全くありません。とても驚きました。こんなに違うものに変えてしまうことができる出版社や訳者に腹も立ちました。
そして、これから この新しい『ピーターラビットのおはなし』にであう子どもたちは、大人になっても思い出すことはないだろうと思います。
昔話にも同じことがありますよね。
以前、子どもの本やさんでも比べ読みで体験していましたが、今回のセミナーでも改めて。口頭伝承で長い年月をかけて語られてきた昔話を、再話で創ったものには 心に残るものがすっかりけずり落とされ、面白味がなくなってしまっているという。
再話されたものを読み終わった後の 後味の悪さをそしゃくするのに時間がかかることになりました。
セミナーに参加して思うのは、子どもたちのやわらかい感性を質の悪い文章や言葉で固めてしまうことの罪深さです。
今の自分には全く力が無いことも痛感します。
セミナーには気付きががあり、貴重で豊かな時間です。
子どもの本やさんの勉強会にも 又、参加します。
よろしくお願いします。
2022年7月23日
伊藤寛美
拝復
伊藤さん 5回目の往復書簡のお手紙をありがとうございました。 ご主人が監督をされた「おれらの多度祭」上映のことで2ヶ月東京に滞在をされ、その間 子ども文庫の会の初級セミナーに参加もされ、東京での生活を満喫されましたね。 お手紙を拝読し、本の奥深さに改めて心を動かされ、伝えることの大切さと難しさを感じられたのが伝わってきました。
月に一度いらしてくださるお客様(女性)が、表紙が見えるよう並べていた棚の「あひるのピンの ぼうけん」を見られ、「小学一年生の時 先生が『シナの五にんきょうだい』を読んでくださいました。その絵と同じですよね。」と懐かしそうにおっしゃってました。五十代の方ですが、残っておありなのですね。本(文学)と出会うって、こういったことなんだなとお話を聞きながら思いました。すぐ結果や形としては出ないけど、心の中心の所に入り、豊かな思い出として満たされるものなのですね。
昔話は口承文芸なので口づたえに耳から入り、聴き手が想像を膨らませていく。なので、昔話の約束ごとに 語りは簡潔であり 話は前へ前へ進んでいくとあります。しかし、再話の中には くどくどとしたものもあります。そういった説明的な再話を好まれる方もいます。想像していく楽しさよりも、説明されることの方を好むということが。すぐれた絵本や本はすべてを語らず、読み手 聴き手を信じ任せています。そういった本よりは想像する余地のない本を選ぶ人が増えてきているように思われ、危惧しているところです。想像する喜びが奪われてきているように思われます。なので、100年後に想像の喜びを感じさせてくれる、M・センダック、E・ファージョン、J・R・R・トールキン、A・ランサム、R・サトクリフ、I・B・シンガー、J・エイキン、F・ピアスなど 私の大好きな作家の本を読めるよう残していくこと。さて、どうすればよいか。答えは子どもです。子どもにそれらの作家の本に出会ってもらう。そうするには、お母さんお父さんです。両親が(どちらかでも)本が好きだったら子どもは読み続けていきます。
お手紙に「今の自分には全く力がないことも痛感します。」と書いてありましたが、踏み出していかれてください。小さなことからでも。結果はすぐには出ません。しかし、気持ちを伝える(出す)行動をされてください。 100年後の子どもたちのために
2022年8月2日
井上良子
過去の往復書簡の掲載案内
1回目 2021年6月23日
2回目 2021年8月20日
3回目 2022年2月5日
4回目 2022年5月25日
「ありがと書店」さんホームページでもご覧いただけます。
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